幻の越路吹雪ロング・リサイタルに寄せて

お久しぶりでございます

 とうとう念願の企画を実行に移すときが参りましたのでこちらでお知らせ申し上げます。わたくしは越路吹雪さんに精通しておりまして、まあそれは大好きってことからはじまった道なのですがそれから今に至ります。性格というものも往々にして付き纏う上、父方の家系に「追っかけ」「凝り性」「しつっこい」とういう血筋あるらしく。わたくしはそれが河合奈保子さんと越路吹雪さんに化学反応した様子でした。

 多感な10代とは云いますが今でも十分多感な自覚アリのわたくしは気付けば奈保子さんも越路さんもご縁導かれて何らかのお仕事をさせて戴く幸運に恵まれました。そんな折、もう15年くらい前かと思いますが越路吹雪さんが使われていた当時の台本を拝ませて戴く機会に恵まれました。リサイタルのパンフレットなどは古本屋などでしこしこ集めていたのですが、まさかその時代、その舞台を作った中枢の資料を手に取ることが出来る日が来るなんぞとは思ってもいませんでした。
 綺麗な紙がブックカバーのそれを開くと、勿論見たことがない越路吹雪リサイタルの模様が天然色で脳裏に浮かびました。あらこれはこれはすごい。越路さんはこんなことを話してこんな歌をうたってこんな衣装を着ていたのね、すごいなあ。もしも夢が一つだけ叶うとしたらずっと前からわたくしは「越路吹雪リサイタルを見たい」でした。これぞ叶わぬなんとか、ですけれど。

 越路さんはリサイタルの音源をレコードとしてそれなりに残しておられますが春、秋と行われていたロングリサイタルはそのどちらかしか発売されませんでした。つまり、例えば1978年は春のパリ讃歌がレコードになっているので秋のロング・リサイタルは音源がこの世に残っていないのです。その台本を見るとシャンソンのあの曲、この曲も越路さんの為に書かれた岩谷時子さんの詩が残っています。そこでわたくしは考えました。
―原曲も知っている、歌詞もある、越路さんが使われたメロ譜もあるー
これを組み合わせれば現在この世では歌われていない越路さんのシャンソンを蘇らせることが出来るではないか、と。

 ちなみにシャンソンと云う音楽はフランスのもので、原詩からの解釈で沢山の日本語訳があるのが常です。ジュリアーニの「そうよ」は今のシャンソン界では「別れの中に」として歌われているので、越路さんの「そうよ」は現在誰も歌っていません。
 更には1953年からはじまったヤマハホールでのリサイタルは殆ど音源が残されていない。当時はジャズやラテンのナンバーを多くレパートリーに入れていた越路さんの思い出は二次元でしか残されていない。他にも沢山のミュージカル曲、日本の曲が資料としてだけ残されている。今回、それらの曲から原曲が見つかってわたくしが歌えそうな曲をほんとに、たくさん掘り起こします。そして越路さんの真似っこで二週間のロング公演を企画します。実際、越路さんは最長二ヶ月リサイタルを行なっておられましたが。

 他にいろいろなことをやりながら曲を覚えるのはなかなか難儀なことですが、しみじみ今思っていることはやはり好きなことが出来るのは幸せだなあ、ストレスもないなあ、と云うことです。この機会を下さったAFF文化事業、越路さんが所属なさっていた内藤音楽事務所、ミュージシャン、スタッフ、ゲストの皆様に感謝申し上げます。お名前のクレジットは是非ともお洒落で素敵なフライヤーをご確認下さい。

 わたくしが今取り組んでいることは、やっと歌詞起こしと原曲探しが終わったので、丁寧に曲を覚えてゆくこと。残されていたよくわからない企画の映像や音楽テープをデジタル化すること、ゲストの皆様との打ち合わせ、衣装制作、パンフレット制作、レコーディング、リハーサル、エトセトラ。。
 しかしまだひと月半もあるのできっと初日には元気にこの上なく嬉しそうな顔で東新宿PetitMOAのステージに立っていることと思います。あとは皆様のご声援だけが頼りでございます。無事に幕が開き、そして事故無く終わります様優しくお見守り下さいませ。

投稿日:2021.11.03